雑記:SQLがEnd User Computingの嚆矢と言われた時代

さすがにそこらへんのことはよく知りません。

 3:あの時代、SQLだったら事務屋でもサクサク書けるよねと歓迎された。つまりデータベースからデータを取り出すことがSQLを書くよりずっと難しかったということだ

大学で身につけるべきは技能より教養だろ - 雑種路線でいこう

これが今の時代だったらどうなのか、という事をよく考える。Webに置き換えたらどうなるのか、ということを。

まあAPIはそこそこ手に入るようになった。Railsでお手軽にアプリが作れるようになった。でもこれは今の時代のエンドユーザ向けとは言えないなあ。

エンドユーザってのの範囲はどんどん広がっていると考えたい。

管理と自由のトレードオフ。エンドユーザに任せていい範囲ってどこまでなんだろう。ある程度システムの側ががんばる前提だったら、エンドユーザは好き勝手ができる。それこそDBMSSQLパーサを積んだように。

ただ、結局DBMSは任意のSQLを許すわけにはいかず、ひどいSQL投げるプログラムは排除せねばならなかった。つまりそこはその時代の「エンドユーザ」は頑張る必要があった。

自由が提供される替わりに、扱える人の範囲は狭いままにしておくべきなのか。ある限定を課した上で(例えばアクセスパターンを限定した中で)それを自由に使える方がいいのか。mysqlとかrailsでスクラッチで構築するのは前者で、現在主流のWeb Services APIは後者。

この中間地点があってもいいと思う。きっとそれはsandboxになるのかもしれないけどな。そして努力すればそこはsandboxっぽく見えないようにもできるはず。

たとえば、オブタンみたいなのはそれできるとおもうよ。データベースがエンドユーザを認識できる。SimpleDBはまだそっちに向かってないので、なんとなくただのDBホスティングサービスに見える。SimpleDBからはアクセスしてきているプログラムしか見えない。

そういえばFacebookのData Store APIはどうなってるんだっけ?データベースへのアクセスコントロールが参加者のネットワークモデルと結びついて提供されているのは、おもしろい。

思い出すのは、Oracleの、プロキシ認証、エンタープライズユーザセキュリティ。ただしニッチ。本当にDBMSのレベルでそれをやる必然性はそれほどない。今はそっちではない。